2006年12月3日

腕時計

昨日は一日外出だったのだが(詳細はこちら)、出かけてすぐのこと。時計を見ると日付がなぜか1日のまま。そうだった。私の腕時計はしばらく前からカレンダーを自分で進めなくてはいけないタイプになった。

とわざわざ書かなければならないほど、今や電波時計、デジタル時計のおかげで我々はカレンダーのことなどまったく気にせずに機械にまかせておけばいい世の中になっている。

私もずいぶん長いこと電波時計を使ってきた。ぴったり時刻があっているというのは快適であることには間違いない。

その時計がある日壊れてしまった。最近の時計は値段が安いので、よほどのことがない限り新しい物に買い換えることになる。

薄くてシンプルなやつがほしいなと思った。で、いろいろ探してみたのだがどうも気に入ったものが見あたらない。電波時計はとても普及しているのだが、デザインが無骨だったりやたらとでかかったりする。

ところが、昔ながらのアナログ+ソーラーシステム(電池交換不要)の時計にとてもぴったりくるのを見つけた。値段も4千円程度と手頃である。アナログといってもクォークだし、一度あわせればそうずれることもあるまい。買い求めて腕につけてみるととても具合がよく、いい買い物をしたと思った。

ところが、この時計には先にふれた唯一の欠点があった。昔の時計は考えてみるとみんなそうだったような気がするのだが、要するに30日しかない月の翌月1日に、カレンダーの日付を1つ進めてやらないといけないのだ。

このことに気がついた瞬間、「うわぁ」と思った。そんな落とし穴(?)があったとは。

実際やってみると、ほんの何秒で終わる作業なのだ。ただ、あまりにも長いことやらなかったものだからちょっととまどった。別にめんどうくさいということもない作業なのである。

ふと気がついた。我々の脳裏にはいつのまにか、何もしなくていい=便利、何かしなくてはいけない=不便、めんどうくさいという図式、さらに言えば、不便、めんどうくさいは悪いことという刷り込みがどこかになかったか。

そんなことを思いながら電車に乗った。それでも私は今使っている時計をとても気に入っているし、たぶん壊れるまで使い続けるだろう。

ただ次に買い換えるとき。もし全く同じデザインで電波時計の機能までついた物が同じ値段で売っていたとしたら、おそらく、それを買ってしまうことだろう。何かそこに一抹の寂しさを感じながら。